【追悼】石原慎太郎元都知事死去 ネット「物怖じする事なく信念を貫き、自信を失った日本人を鼓舞し続けた」「決断型の素晴らしい政治家」「震災の時も尖閣の時もすごいリーダーシップだった」「ご冥福をお祈り致します」


Photo M Seimori - Pixabay

その言動は時に厳しく、優しく、誰よりも日本を憂う心で邁進する姿を見て、目覚めた日本人は数多く居ると思います。
また、その功績や観点は間違いなく後世に伝えられていくと思いますし、伝えられなければならないと思います。
石原慎太郎氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

- KOKUMINnoKOE管理者一同

【速報】石原慎太郎元都知事が死去 近年は脳梗塞や膵臓がん患う
2/1(火) 14:01配信 FNNプライムオンライン Yahoo!ニュース

作家で元東京都知事の石原慎太郎さんが亡くなりました。89歳でした。

石原さんは1932年神戸市生まれ。一橋大学在学中に、夏の海辺を舞台に享楽的な生活を送る若者たちの姿を描いた小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞しました。小説が映画化された際には、弟の石原裕次郎さんを俳優としてデビューさせ、大スター誕生のきっかけを作りました。

その後も作家として数々の小説を執筆し、三島由紀夫とも深い親交があったほか、裕次郎さんを題材にした「弟」は、ミリオンセラーになりました。

政治家としては、1968年に参議院議員に初当選。1972年には衆議院議員に転じました。福田赳夫内閣で環境庁長官を務め、竹下内閣では運輸大臣を務め、1995年に議員を辞職しました。

その後の1999年には東京都知事選に出馬。166万票を集めて当選し、記者会見での「都庁で会おうぜ」という発言が話題を呼びました。4期13年あまりの都知事在任中は、東京都の財政健全化や排ガス規制などの環境対策に力を入れたほか東京マラソンを国際的なイベントに育てました。

全文は以下
https://news.yahoo.co.jp/articles/b126b9f149d73ec31770365d35e4d52ee3f0156f

FNNプライムオンライン
https://www.fnn.jp/articles/-/308326

関連






 



 


リーダーシップの裏の繊細さ、純粋さ 石原氏死去 - 産経新聞
周囲の意表を突き、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いの一方で、純粋な一面をみせることもあった。

平成23年の東日本大震災と、それに伴う東京電力福島第1原発事故で、放水作業のために現地に赴いた東京消防庁ハイパーレスキュー隊員に対して、人目をはばからず涙を流し、「ああ、もう言葉にできません。本当にありがとうございました」と、感謝の言葉を吐露した。当時、隊員らに出動を命じた消防総監はこう証言した。

「知事は決して『やれ』とは命令しなかった。『本当に大丈夫か、できるならやってくれ。頼む』と。隊員への気遣いを感じた」

尖閣諸島購入構想でも同じだった。「『国を守る』という純粋な思いに応えたかった。国に油揚げをさらわれるようなことは許せない思いがあった」と、ある職員は当時を語る。

2016年五輪招致で東京が敗れたコペンハーゲンでの国際オリンピック委員会(IOC)総会からの帰路。元首相の森喜朗氏はこう明かした。

「帰りの飛行機で石原さんが泣いているのを隣で見ていた。あの強がりがよっぽど悔しかったんだなあ。あんな悔し涙は初めて見た」

都知事として、毎週金曜日午後3時から定例会見に臨んだ。歴史認識についてや、石原氏の都政を批判する記者の質問に逆質問を投げかけたり、声を荒らげたりする場面も多かった。それでも、会見を終えた石原氏が、「あれが記者なんだよな」とつぶやくのをある職員は耳にした。

都知事4期目の出馬表明は平成23年3月11日、震災の発生直前のことだった。震災対応では、いち早くがれきの受け入れを表明、広域処理の先鞭(せんべん)をつけた。都民からの反対意見が都庁に寄せられたことに、「黙れといえばいい」と思いの丈が口をついて出た。受け入れに二の足を踏む自治体の首長については「総理大臣が強い号令をかけて、首長の尻をけっ飛ばせばいい」と言い放った。


コメント

残念です。
ピシャッと相手に歯に衣着せぬ物言いは賛否両論ありましたが、自分は好きでした。
都知事としても立派でした!!安らかに。。、
お疲れさまでした。


多少ワンマンでもいいから石原慎太郎みたいな愛国心ある総理大臣候補はいないかな?
結果はどうであれ、尖閣国有化は頼もしい限りでした。
お疲れ様でした。


超人気俳優だった石原裕次郎の兄であり
作家であり 晩年政治家であり
お子様たちも今ご活躍中ですね。
裕次郎さんは早い死でしたが
89歳なら
やりきった人生でしょうか。
ご冥福をお祈り致します。


石原都知事で思い出されることは
東日本大震災の際に、東京消防庁の職員を
現地に派遣することになり、命を懸けて派遣される隊員を涙して送り出していたこと。
政治家として常に日本の事を考え、発言する姿に真の政治家をみた思いがした。それに比べれば、今の政治屋連中は自分の保身と党利党略しか考えず、国民をないがしろにする。
外交に至ってはどこを向いて発言しているのかと嘆息するばかりである。


今の政治家には、石原氏のような強い愛国心や、はっきりものを言う姿勢などが全くない。
YouTubeで国際に復帰してからの予算委員会での質問などがあるので、興味のある方は是非見てほしい。
憲法改正がもし可能となるとすれば、こういう方でなければ不可能なのだろうなと思う。
お疲れ様でした。御冥福をお祈りします。


コロナ禍直前の番組で(2019年12月)美木良介氏の指導で2年リハビリし毎日2キロも大股で歩いて散歩できるようになられたとあり
回復力に驚いていました。
せっかくリハビリ効果があったのにコロナ禍で不自由な生活が始まり…なら残念です。
ご冥福をお祈りします。


これほどいろいろな才能に恵まれた人はなかなかいないと思う。
親戚関係や学歴、文才・・・。そしてユーモアもあった。政治家としてもそりゃあ好き嫌いは分かれることは当然としても、自分自身の考えには強固な自信があったように思う。
残念な気持ちだ。


個人的には、国士だったと思っているが、惜しいねえ。
彼への批判は多々あるのは承知しているが、石原氏の国会議員や都知事時代を通じて、リベラル(と言う左翼界隈)の方々からは右翼と言われながらも、是々非々で言うべきことは言うという、一貫したスタンスは好感が持てたのと、個人的には、まあ、良き時代のいわゆる代議士と言える人だったと思う。
都知事時代に、福島第一原発の危険な冷却作戦に対応した隊員の方々に対するねぎらいの言葉「国運を左右する戦い。生命を賭して頑張っていただいた..」と、たしか隊員の返答だった思うが「必要ならば再度、行く」云々は、長い時がたっても、今でも思い出す。


近年動静が伝えられなかったから、どうしておられるのか気にはなってたけど、そういう状態だったのか。
一言では語れない人だったけど、個人的には政治家としての印象の方が強い。
政治信条としては、どちらかと言えばタカ派だよね。
ハッキリものを言う人だったから賛否はあったと思うけど、政治家としての存在感はスバ抜けてたね。
氏の発言にはスカッとした気になれた事が個人的には多かった。
お疲れさまでした、ご冥福をお祈りいたします。


調整型ではなく、決断型の素晴らしい政治家でした。
政治家の矜持を拝見できて、政治に関心を持つことができました。
ありがとうございました。
安らかに。。。


知事時代に推進されたディーゼル車の排気ガス規制。
業界からの反発も有ったが、以前は道路のガードレールや街路樹が真っ黒になっていた環状8号線や7号線沿線が大分変った。真っ黒な排気ガスを出しながら走る大型車両も今日では殆ど見かけない。


あるTVに出演していた時、将来使う事のない基礎解析などを勉強させるのは無駄だと言う太田光に、
「中高生にはやらせたらいいんだ。そこで我慢を覚えるんだよ!」と言って黙らせたのを鮮明に覚えている。
強引なところもあったが、こういう政治家も必要だったのだろうと思う。
ご冥福をお祈りします。


震災時に東京から福島の原発へ消防隊を派遣した際の帰還報告会で声を潤ませていた石原氏。日本を愛していることがとても伝わってくるシーンだった。ご冥福をお祈りいたします。


ぶっ飛んでいたけど、外国に負けない姿勢の政治家で好きでした。曲げられた歴史から真っ向にメスを入れられた数少ない生き証人でした。合掌


そう遠くない前にテレビでご近所を散歩されている映像を見ました。まだまだお元気と思っていましたが、残念です。
トラック(ディーゼル車)の排ガス規制は私自身もトラックを所有し運転する身ですが、当時はなんてことしてくれるんだ、と思いましたが今となってはどこぞの環境大臣よりすばらしいことをされたと思います。
ご苦労様でした、そしてご冥福をお祈りさせていただきます。


賛否あるかと思いますが
東京の都知事としてご尽力頂いたのはこと
心より感謝申し上げます。
大変お疲れでした。ありがとうございました。


有名人からの政界にも関わったのに、そこらの政治家より抜きに出てリーダーシップもあったと思います。
極端なところもあったけど、震災の時も、尖閣の時もすごいリーダーシップだったと思う。
残念です。ご冥福をお祈りします。


同意できない主張も数多くあるが、間違いなくリーダーシップを発揮し、自分の言葉で語る人だった。今の都知事も首相も自分で決められず、周りの意見に影響されるだけ。もう毅然と振る舞える政治家が生まれることはないのかもしれない。


この方は本当に日本のために尽くされた国士だと思います。
石原さんが行動しなかったら今頃尖閣は中国の物になっていたでしょう。
多大なる業績へ尊敬の念を捧げるとともに、心から厚く感謝いたしております。


青島幸男、横山ノックが知事だった時、東京博中止の影響が大きかった。石原氏が企業誘致に取り組み空き地だったお台場は一つの街に成長した。大阪は企業が離れて商都から一地方都市になった。その一点だけでも石原氏の東京に対する業績は偉大だ。


石原都政の功績の一つが水道事業。東京の水道水が美味しくなった。そのままに飲めるし、料理にも。当たり前に思ってるかと思いますが、これは凄いことだと思います。


今の日本に求められるのは石原氏のような気骨のあるリーダーではないでしょうか。物怖じする事なく信念を貫き、また自信を失った日本人を鼓舞し続けた印象があります。ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。


https://news.yahoo.co.jp/articles/b126b9f149d73ec31770365d35e4d52ee3f0156f/comments

コメント

人気ブログランキング

クリックのご協力をお願いいたします。

このブログの人気の投稿

中国 東シナ海のガス田で掘削開始か 日本政府は抗議 コメント「合意違反」「一回抗議し状況を悪化させてくるならもう協調関係は無理」「今一度原点に戻り資源調査等行うべき」

宇宙ごみと人工衛星の衝突、「高リスク」過去最多268件に…政府は「交通ルール」策定へ コメント「宇宙ゴミの除去は宇宙開発に不可欠な技術」「国籍も目的も不明な衛星が多い」「誰が処理して誰が払うのか」

「車検ステッカー」貼る位置が7月3日から変更に 指定の位置に貼っていないと違反になる?運輸局にたずねると… コメント「安全確認の邪魔に」「場所を変えて解消するような問題ではない」「誰目線の制度改革なのか」