日本は撃退成功、アジア諸国は「元寇」にどう立ち向かったのか? ネット「中国が屈した相手に日本が僥倖があったとはいえ撃退」「現在の中国の学校では教えていない」


モンゴルの高原(Pixabay)((C)Japan Business Press Co.,Ltd. All Rights Reserved)

日本は撃退成功、アジア諸国は「元寇」にどう立ち向かったのか?
モンゴル侵攻の記憶と現代社会
7/16(金) 6:01配信 JBpress Yahoo!ニュース

 (川島 博之:ベトナム・ビングループ、Martial Research & Management 主席経済顧問)

 モンゴルは13世紀から14世紀にかけてユーラシア大陸を席巻した。それから800年ほどの年月が流れたが、その驚異的な軍事力とその後の支配は、今でも恐怖の感情とともにユーラシア大陸に住む人々の心の奥底に残っている。それは知ることは現代社会を理解する上で役に立つ。

 日本はユーラシア大陸の周辺に位置する島国だが、モンゴルの襲来は「元寇」と呼ばれて「神風」という言葉を生んだ。「元寇」と「神風」にまつわる記憶は、危機に見舞われた時に、神が日本を助けてくれるという思考につながっている。

 あの戦争の末期に海軍は自爆攻撃隊を組織したが、その名称を「神風特別攻撃隊」とした。それは極めてインパクトのあるネーミングであった。もし「神風」という名称がなかったら、あれほどまでに特攻の悲劇が繰り返されることはなかったのではないだろうか。20世紀になっても日本人の心の中には元寇の記憶が残っていた。

■ 中国全土を初めて征服した異民族

 モンゴルの侵攻は中国にも大きな影響を与えた。中国はそれまでにも何度も北方に住む遊牧民に国土を荒らされてきた。女真族(満州族)が中国の北半分を占領したこともあったが、中国全土を征服したのはモンゴルが初めてだった。

 南宋は首都である臨安が陥落しても、幼帝と一部の臣下が現在の深セン市まで逃げて徹底抗戦した。最後は「崖山の戦い」(1279年)に敗れて滅亡したが、異民族の支配に対して徹底抗戦したという記憶は中国人に残ることになった。

 中国人は約100年間にわたってモンゴル人の支配下で暮らしたが、その支配を「紅巾(こうきん)の乱」という農民反乱によって覆している。農民反乱による王朝の崩壊は中国史の定番であるが、異民族支配に対しても農民反乱は有効であった。この反乱の中で力をつけた朱元璋(洪武帝)が明を建国した。

■ モンゴルへの降伏で決まった朝鮮半島の「国の形」

 モンゴルは朝鮮半島にも攻め込んだ。朝鮮半島に住む人々は、それまでも唐など中国王朝の脅威にさらされてきたが、なんとかその侵攻を防いでいた。付け根が山岳地帯である朝鮮半島は攻めにくい。モンゴルはそんな朝鮮半島に深く攻め込んできた。

全文は以下
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd789b161fd44e68ffb277e115778326d8b26ed4

JBpress
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66047

関連

元寇は「世界史と日本史の接点」 松浦でサミット - 朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASNCF00BVNCBTOLB00M.html

【日本史の謎】博多に来襲した元軍がたった1晩で撤退した本当の理由 - ブルーバックス
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76097

日本人よ、「モンゴル」を忘れないでほしい! - 本の話 文:楊 海英 (静岡大学教授)
『チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史』 (楊海英 著)
https://books.bunshun.jp/articles/-/3057


コメント

>安全保障を隣国に丸投げして、文官が民衆に対して威張り散らす体制を構築した国は李氏朝鮮ぐらいだろう。
その李氏朝鮮時代が500年以上も続けば、民族の身に沁み込んだのだろう。
日本でも吉田松陰や福沢諭吉などの偉人が朝鮮についてコメント(その内容を書くと消される)しているが、まさにその通りでありこんな国とは関わらないのが一番で、国交断絶を真剣に考える時期に来ていると思う。


最近は唱歌の元寇を聴いてばかり居る。
日本もベトナムも良く戦ったと思う。
昔も今も中国には、厳しい態度で臨むのが良い。
中国人は元寇以降の日本を見て、反抗したら仕返しが恐ろしいと思ってる節が有るし。
中国には怯んだり卑屈に成ったら駄目。


今現在の中国では学校では教えていません。
だから一般人はほぼ知りません。
多分?今レッドチャイナが推し進めている、一対一路や、シナ海の占有が元寇と重ねあわされるのを、指導部が警戒しているからでしょう。
歴史事実としては,元は、今のロシアや東欧諸国をすべて併呑しました。
そしてその西進を食い止めたのが「ドイツ騎士団」でした、
ドイツは侵略されずに済んだのでした。
アジアではご存じのように、ベトナムと日本が食い止めています。


良い記事でした。
韓国(朝鮮)のあの考え方が形作られた経緯を端的に、率直に説明した分かりやすい記事でした。
この記事を、他紙でも広く掲載してくれることを願います。


朝鮮半島の人びとが、日本人がもっとも忌み嫌う強きに媚びて弱きに君臨する性質を有した方々であることは、間違いないと思います。それには歴史的な経緯があったんですね。


「元寇」という歴史のできごとを中国では歴史で習わないらしい
出来事以前に、元寇という名前すら(なに、これ?)となるらしい
中国が屈してしまった相手に日本が僥倖があったとはいえ撃退した
それを歴史の教科書では学ばせたくなかったのかもしれない
もし中国人に知り合いか友人がいる方は、試しに聞いてみるのもいいかもしれない


ベトナムはおそらくかなりの強敵だったろう。
ただ、日本・ベトナムだけでなく、ジャワ島の征服も失敗しているから、あの時点で限界だったのでは。


歴史では事実のみを習うのではなく、多角的に光と影を見ないと駄目ですね。
ベトナムと朝鮮を相手にする方法が分かる事例ですね。
朝鮮民族とは対等に接するのではなく、差別と言われようが強く、時には見下したようにする方がうまく付き合えるかもしれない。


二度の元寇は武士が実力で排除し、台風はダメ押しの一撃だったというのが近年の考証だったはず。
まさに、人事を尽くして天命を待つ感じ。
昭和の陸海軍とは根本的に違う。


久しぶりに面白かった、歴史に疎い私にも分かりやすい良い記事でした。
ありがとうございます。


日本がモンゴルの攻撃を排除できたのはひとえに島国だったからと思う。あの当時、騎馬民族であったモンゴルに海を越えて大軍を展開させる力はなかった。迎え撃つ鎌倉武士団(といっても西国の武士が中心だが)も伝統的な一騎打ちを止めて、早期から集団戦闘に切り替えて健闘したこともある。一方で、陸続きの国は殆どがこの騎馬軍団に飲み込まれてしまった。更に手先となって壱岐・対馬で正視に耐えない残虐行為を行ったのは高句麗兵だということも忘れるべきではない。


https://news.yahoo.co.jp/articles/dd789b161fd44e68ffb277e115778326d8b26ed4/comments

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